l がんと初期仏教

がん患者さんへの初期仏教、テーラワーダ仏教、上座部仏教のご紹介

1.不安と後悔への処方せん

症状1:死の不安

処方せん:死ぬのはあたりまえ。「死なないこと」ではなく、「幸福」を目的にする。
 医師からガンを宣告された瞬間を、今でもよく憶えています。
なぜ私が?まだ41歳なのに?という怒りにも似た強烈な疑問。そして、見えないくらい先にあると思っていた「死」が突然、現実として姿を現すことの恐ろしさ。冤罪で死刑を宣告されたような衝撃。「なぜ?私が?がん?嘘でしょ?」頭のなかは疑問符と恐怖感ではちきれそうでした。

 その数週間後、初期仏教のお坊さんであるスマナサーラ氏の著書、「執着しないこと」を手にしました。

氏が説く初期仏教の考え方は、あっけに取られるほどクールかつシンプル。死に対するスタンスは、「あたりまえでしょう」です。
 日本人は、死を忌み嫌います。口に出すことさえ、はばかられる。まるで、死について考えなければ、死を避けることができるかのように。
しかし、「死にたくない」と願っても、100%の確率で死はおとずれる。生まれたならば、死ぬのはあたりまえ。だったら、死にたくないという不安に囚われている時間がもったいない、生きることに集中しよう。

この、あまりに直球勝負な考え方を知って、私はグッと心が軽くなりました。確かにそうだ。いずれ人は死ぬ。どんなに、死にたくない!と念じたところで、必ず死ぬ。だったら、解決できない問題は放っておこう。解決できる問題だけに特化しようという前向きな気持ちになりました。

「やめたいことはやめられる」52ページ より
「生きていたいという存在欲を微妙に変えましょう。『幸福になる』とは『どうせ生きるならば、幸福になる』という意味です。生きていたい、死にたくない、という気持ちは、気にするほどの問題ではないと措いておくのです。
生きているならば、幸福に生きる。死ぬことになったならば、幸福に死ぬ。ですから『幸福になる』という目的を作るのです。」

症状2:後悔にさいなまれる

処方せん:後悔は妄想。今に集中する。
 死への不安とともにわき上がるのは、「健康診断に行っておけばよかった」「タバコをやめればよかった」というような強い後悔の念ではないでしょうか。後悔に対しても、初期仏教はあくまでクール。「後悔は妄想でしょう」と。
 未来(不安)や過去(後悔)に囚われることを仏教は否定します。今、この瞬間に集中する。なぜなら、私たちが考え・行動を選択できるのは今、この瞬間しかないのだから。厳しいけれど、まっすぐな答えです。

「執着しないこと」152ページ より
「過去は存在しません。未来もまだ存在しません。存在しないものを考えても、意味がありません。時間とエネルギーの無駄です。 それよりも、私たちが意識を集中すべきは、『いま』です。『いまやるべきこと』にとことんエネルギーを注ぎましょう。」

症状3:食生活にやたら神経質になる、民間療法に取り憑かれる

対処せん:がんから逃げない。逃げれば逃げるほど不安になる。体のケアはほどほどにして、心の鍛錬に注力する。
 がんを告知された後、食事などの生活習慣にものすごく神経質になる方がいらっしゃいます。私の知人でも、がんを発症した後は、有機野菜と玄米しか食べなくなった方がいました。あまり神経質になっても、逆にイライラするだけでは・・・?と思ったものです。

 私自身は、このような傾向はまったくありませんでした。なぜなら、がんを告知される前、私はものすごーーく食べ物に気をつけるタイプだったのです。主食は玄米か雑穀パン、野菜は有機野菜をお取りよせ、買い物では必ず原材料と原産国をチェックして・・・などなど。
しかーし、ごらんのとおり、がんを発症してしまいました!あんなにがんばったのに!あんなにお金をかけたのに!バカらしくなってしまい、食事に神経質になることはなくなりました。

「老いと死について」18ページ より
「どう気をつけても、100パーセント健康でいられるわけではありません。どんな努力も、老化する身体を止められないのです。 もっと、心に目を向けてください。」

⇒次ページ「2.いらだち、嫉妬への処方せん」

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